【読書会歴史】平安時代から続く最高の教育法!読書会の歴史解説!

【読書会歴史】平安時代から続く最高の教育法!読書会の歴史解説!

「読書会っていつからあるの?」

「読書会の歴史ってどんな感じ?」

読書会は、若者を中心に多くの人に人気があります。

そもそも読書会はいつから開始されたのでしょうか?

読書会の歴史を公式に研究している方はいないので、情報を元に私なりに読書会の歴史を調べました。

読書会の歴史を調べてみると、読書会が最高の教育法であることも理解できました。

読書会の歴史を学ばなければ、これからの教育の将来を知れないことと同義です。それだけ読書会と教育の歴史は密接に関わっており、歴史を知らなければ読書会の魅力も半減してしまいます。

今回は読書会の歴史をまとめてみました

読書会の歴史は古い「本を勉強に使ったのは平安時代から」

読書会と呼ばれてはいませんでしたが、読書会の歴史は相当古いです。

文字が生まれたのは紀元前3500年のメソポタミア文明から

人類は脳の記憶容量に限界があるので、脳の外で情報を保存するシステムを開発したのです。

この「書紀」という当時は粘土板に何かを記す発明をしたのは紀元前3500年だと言われています。

また、紀元前2500年には王は楔形文字で命令を出し、神官は神託を記録しています。文字を使って人に考えを伝え始めたのです。

書物が生まれたのは紀元前500年

世界最古の書物は、ソフィア世界史博物館にあるエトルリア語の製本だと言われています。

紀元前500年頃に書かれたそうです。

Etruscan book

この頃はまだ紙が存在せず、6ポンドのページを24金で作られてました。

中には馬に乗る男の姿、人魚、ハープ、戦士の姿が描かれているそうです。

LINK【BBC】Unique book goes on display The world’s oldest multiple-page book – in the lost Etruscan language – has gone on display in Bulgaria’s National History Museum in Sofia.

日本最古の本は聖徳太子自筆の「法華義疏」

日本では本が生まれたのは西暦610年頃です。聖徳太子が法華経の注釈と自分の注釈を記入しました。

用明天皇の皇子聖徳太子は、推古帝の摂政として冠位十二階、憲法十七条を定め、遣隋使を派遣し、仏教興隆に尽力した日本古代政治史上の英雄。聖徳太子自筆 ではないかとされる『法華義疏』(全4巻、611-615)は、法華経の注釈を集め、自らの注釈も施した書。この時代の書跡として日本最古のもの。法隆寺 伝来で、現在は皇室の御物となって保管されている、我が国第一の貴本。

引用:日本の書物の歴史

新約聖書はこれより500年ほど前の西暦100年ごろにできたと言われています。

中国の「老子」は、さらに300年前の紀元前200年頃だと言われています。

日本は奈良・平安時代に写本(=人が書き写すこと)がスタート

文字が発明され、思いを伝えることができ、書物ができても読書会にはなりません。

なぜなら、読書会とは本をテーマにしてコミュニケーションをすることなので、記録のための書物ではなく、学びのための書物がなければ読書会を行えません

では、どうすれば学びのために本を使えるのでしょうか?

学びのために本を使うには、本を複製しないといけません。なぜなら、本が複製されないと、本を読める人が少なく、コミュニケーションが取れないからです。

奈良・平安時代では国家事業として写本(=人が書き写すこと)が始まったと言われています。ここから本を通して学ぶことが始まったと言えるでしょう。

文字と紙を中国から教えられて、その貴重な紙を使って生産された日本の最初の書物は、国家の事業として進められた写経事業であった。既に673年には『一切経』5千巻を書写し、奈良時代に写経事業は最高潮を迎える。『聖武天皇勅旨経』など『一切経』の書写だけでも、奈良時代に15回も書写している(3-8)。漢文による表記を除き、漢字を利用した日本語の表記は困難であったので、平安時代の書物は、物語と日記に先鞭が付けられた

引用:第3章 書物の書写

写本のおかげで、ある程度の本の量ができれば、本をテーマにしてコミュニケーションを取れます。まさに読書会が始まるのです。

ちなみに、奈良時代の本の遺品は数千点もあるので、かなりの量の本が作られたことがわかります

日本が本を勉強に使い始めたのが平安時代頃

701年の大宝律令で教育制度が確立されました。

この頃から、読み書きを学ぶことも制定されました。文章を使って儒教を学んでいたと言われていますし、歴史も学ぶことが制定されたのもこの時です。

その後、書物の重要性は高まり続け、鎌倉時代は金沢文庫ができ、室町時代には足利学校ができるなど、書物収集に熱心だったそうです。

明治維新を起こしたのは読書会が原動力

明治維新を行った人を見ると、ほぼ全員が私塾出身者だということに驚かされます。

私塾出身者に共通しているのは、古文や論語です。

論語などを学びお互いに会話することにより、明治維新の原動力になったと言われています。

私塾で学んだことが明治維新の原動力になったんですね。

江戸時代の私塾で行われていたのは読書会

緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾など数え切れないほど多くの私塾がやっていたことは有名な古文や論語を勉強することです。

それは正に現代で言うところの読書会なのです。

私塾ブームで私塾が乱立した=読書会形式で学ぶことが定着

江戸時代には約90の私塾が誕生していますし、明治時代には約40の私塾が存在しました。

一見、私塾少なくなっていると思うかもしれませんが、この頃には学制が発布され学校が設立され始めました。

学制を発布することで、私塾は私立学校に代わり、寺子屋は小学校になり、藩校は、中学校・高校に変わります。

ちなみに、明治12年の教育令を見てみると、読書など書物を中心に学ぶ教科があります。

※小学校の教科

初等科:修身、読書、修辞、唱歌、体操

中等科:初等科に加え、地理、歴史、図画、博物、物理、裁縫(女子)

高等科:中等科に加え、化学、生理、幾何、経済(女子は家事経済)

※小学校教則綱領では、各教科の教授要旨等を示すにとどめ、具体的な教育内容は教授要旨を踏まえて作成された教科書に委ねられている。なお、教科書については明治16年より文部省の認可事項

LINK【国立教育政策研究所】我が国の学校教育制度の歴史について

読書会の歴史は未来も続いていく

読書会は本をテーマにしてコミュニケーションをするイベントです。

本をベースに学ぶ教育スタイルである今の教育制度も、本をテーマにして先生と生徒・生徒間がコミュニケーションをとっているので、広く言えば読書会と言えるでしょう。

また、テクノロジーが発達しようと書籍はなくなりません。書籍は動画や音声よりも早く読み取ることができ、時間を選ぶことがないので、便利だからです。

つまり、本を使って学ぶスタイルはなくならず、読書会形式で学ぶこともなくなりません。

また、現在はオンラインサロンやさまざまな勉強会があり、本をベースに学ぶことを取り入れているかもしれません。

読書会と名乗ってはいませんが、本をベースにしてディスカッションをしていれば、気付かないうちに読書会をしているのです。

読書会の形式は課題本形式と自由形がありますが、勉強の場合は課題本形式が圧倒的に多いですね。

読書会の形式の違いについては「【読書会とは】読書会の定義ではわからない読書会の形式の違い解説!」で詳しく解説しています。興味がある方はどうぞ。

読書会は歴史的に見ても最高の教育法

実は、キリスト教やイスラム教などの経典宗教が行っていることも読書会に通じています

経典を通じて牧師から解釈を学ぶこと、自分が感じたことをお互いに発表し合うこと、これはまさに読書会が行っていることと同じなのです。

読書会と名乗ってはいませんが、気付かないうちに読書会を取り入れていることはとても多いです。

それだけ読書会は教育システムとしても最高の教育法なのでしょう。

何かを学ぶのに理想的な教育システムである読書会。興味があればぜひ参加してみてくださいね。

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